こんにちは。
ホームスクーリング6年目のきまぐれキャンパーです。
我が家でホームスクーリングをするにあたって、よく考えたこと。
子どもの気持ち以外での部分です。
1 「怪しい」と思われないこと。
2 「虐待」と思われないこと。
3 第3者の国家資格有資格者の手を借りる。定期的に相談する。
これらのことに気をつけました。
そして、所属団体にも6年目にして所属申請はしていますが、
主に重要なのが上記3項目だと感じています。
特に3を満たせば、1と2は満たされると思いますが、
3が不安定な場合、1、2も個別で考えてお子さんの権利を守る対策をしなくてはなりません。
親が何を言っても、世間では「子どもは学校へ行くもの。」との考えが未だ根強いです。
そして、学校へ行かない者は、「不登校」と一言で見られます。
内容は様々なのに、一言で捉えられてしまう大人、多角的に見れない大人に、
に子どもの未来を託すのは、私はできません。
1、2、3をすべて満たすために、第三者的な存在に定期的に子どもの発達を見てもらいつつ、
子どもの内面の相談や、社会の関わりを絶たない為に必要と感じています。
さて、1を満たすのは何でしょうか。どんな存在でしょうか。
「怪しい」と思ったら、皆さん近づかないですよね。
私としては、自宅の町内会の存在が役に立っています。
もしくは、クラブチームでもいいのかもしれません。
役員等、めんどくさいと思う事もあるかと思いますが、やめようと思えばやめられる場所です。
地域の行事に参加して、ホームスクーリングをやっている事を周囲に話しています。
その甲斐あってか、越して来た当初もいい人達でしたが、より子どもたちを暖かく見守ってくれていたり、
声をかけてくれるようになりました。
町内会の話し合いや行事に子どもも借り出して手伝う事で、色々知ってもらえるのは、結構力となっています。
2は、学校や児童相談所、教育委員会でしょうか。
どれか一つでもいいです。関係が具合の悪い所もあると思います。
我が家の場合は、学校はあんまり信用していません。ですが、状況はその都度、話しています。
児童相談所にはホームスクーリングをしていることは話してあります。
教育委員会も、我が家の状況や選んだ背景を知っています。
3が、一番大事な場所です。
国家有資格者の第三者です。
有資格者とされるのは、心理療法士や作業療法士などの方々。
もしくは、保育園園長先生などの先生とされる方々。
お医者さんでもいいですが、児童発達専門のお医者さんは場合によっては、
偉そうだったり、自分の考えばかりの人だったり、診療報酬のことばかりしか考えていない人だったり。。。
あまりオススメしません。
私は児童発達専門の医者に、
「なんで、そんな心のこもらない発言ばかりできるんですか?お医者さんがどんだけ偉いんですか?患者がいなきゃ暮らしてもいけないのに、発達の心理を学んでいるはずの医者が、偉そうに親に対して心理を逆撫でする物言いをして許されるなんて思わないでください。藪にもほどがある。本当に学んでいるんですか?医者は他にも沢山いるんです。あなたの代わりは沢山いる。診てもらえなくなる恐怖なんて私にはないです。他の方は、怖いから言わないだけです。医者なら勉強しろ!」
と言ったことがあります。笑
しかも、70代のベテランの男性医者です。
でも、次の機会から態度は軟化していましたね。言わなきゃわかんない人達が、
毎日会わない、月に1度しか会わない相手の内面を的確に診れると思ったらそうではないです。
誰でも間違えます。
このお医者さんとは、今でも関係があります。とてもいい関係になりました。
言いたいことは言えるし、聞けるし。。。
でも、我が子の相談相手ではありません。
私が利用しているのは、保育園と併設してある個別に心理療法をされている方。
その方に、お願いしてそれぞれ月2回話をしに行っています。
心理カウンセラーではないです。
カウンセラーには民間の資格もあり、しっかり勉強されてる方もいますが、交渉の際の説得にはもっと有効な方にお願いすべきだと感じています。
心理療法士です。
発達の段階をしっかり学んだ方の方が、許容範囲も広く話を聞いてくれます。
子ども達も長い付き合いの方なので、私に言えない話をしている、だろうと。。。思っています。
心理療法士の個別支援を利用しているメリットはまだあります。
学校へ訪問して、個別に先生と話してくれる点です。
当事者間ではとても感情的になりやすい場面でも、話し合いが穏やかに済むと思いますし、
相手も第三者の面から見て、有資格者の発達段階の判断もより専門的に話してくれます。
少なからず、私にはすごく役に立っています。
定期的に子どもと話し合うことで、1や2の可能性も否定できる点も良さですね。
子どもの内面を見てくれて、直接会って話せる点では、怪しさや虐待を否定できる要素となっています。
一人で大変さを背会わず、大変なことも、喜びも分かち合っていける第三者はとても力になりますよ。