先日の夜のこと、子達と話し合いになりました。
お題は、
「勉強は、必要か必要じゃないか。」
最近は、勉強を進んでやっていません。日頃何を考えて何を得ているのか気になっていました。
必要、必要じゃない。どちらの意見でも、その後ろにある「なんで?」を考えて欲しかったからです。
話し合いの着地点を、いろいろ考えていたんですが、結果を言っちゃうと、答えは出ない話し合いでした。
意見の出し方、考えの表現の仕方は少しずつわかって欲しいと思っています。
ポスターの裏紙、ポストイットを用意して、書き始めたら、意見はあってもポストイットへ書くのが遅くて、話し合いが進まない事態に。。。自分で急いで書くのは大変。そして、書いている最中も話を聞くのは大変。
急遽、キャンパー自身が書くことに。
子達は、「勉強は必要」と強く思っている様で、将来のために必要となっているわけです。
将来にどう使うかだと、将来好きな仕事に就くために必要だそうです。
将来になれば勉強はいらないの?
好きな仕事ができなかったら、勉強は必要じゃないの?
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勉強はしなくても好きな仕事についている人は何が違かったんだろう?
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
答えは出ません。そりゃ、難しすぎるだろう。。。
どんなに勉強しても好きな仕事につけなかったら?
世の中の全ての人が好きな仕事だけしかやっていなかったらどうなる?
嫌いなことも好きな仕事の中には入っているよ。
勉強はやりたくないのになんでやるの?
子達は全て「わからない。」
この「わからない。」を少なくして
自分で選択できる様になるために、その解決方法の一つとして「勉強」は必要なんじゃないか。となり、
強いては、わかんないが減り、選択肢を選ぶことが「幸せ」につながるんではなかろうか?と話はやっと落ち着きました。
厳しいことも書いてあります。
ママの言っていることだけで、判断する周りの目の存在を知って、自分の意見を持つことの大切さを知って欲しい。自分の意見でも自分自身を守れる様になって欲しい。
そんな思いもあります。
「幸せ」ってなんだろう。ってところへ出くわしたのですが、、、今回は幸せにつながる方法のところで話し合いは終わりました。
答えの出ない話し合い。
きっとまたやります。