自分の勉強は何に必要なのか考える。

子達も大きくなって来て、ゴジランはもう六年生を終えようとしています。

ホームスクーリングを始めて6年。

 

始めの頃は、ひらがなから、カタカナ、漢字、順調にやって来ました。

現在の速度は遅れています。

この「遅れています。」

というのは、通常の小学校の速度と比べると。という意味です。

正しい判断なのか、と問われると、「NO」ですね。

 

社会を見ると間違った判断ではないのですが、人それぞれの速度があり、比べるのはナンセンスであるとも言えます。

けれど、子達はどんな職業に就くかわかりませんが、この社会に生きていくのです。

一般的な社会でのルール、基準はできていなくても知っている。わかっているはとても重要なことと言えます。

と私は思っています。

 

ここに来て、学校卒業となるのですが、小学校課程修了とはならなそうです。

知っていると、世の中のためになって、知ることで次の勉強に行けるんだよ。とか、

今現在すぐに役立てることがなくて、私が知らないばかりに勉強の魅力も伝えることはできなかった。と思っています。

思い切って勉強をやめようかとさえ思いましたが、すっぱりやめちゃっていいのかと悩んでは仕切り直しをして。悩んでは始め。を繰り返しました。

「やるべき事」と銘打って、取り組んでは来たものの、生きている媒体ではない勉強への興味の少なさに「やろうよ。」とは最初ほど言えず。

「もう「やろうよ。」とは言わない。」とまで思って、何も言わない期間を一年過ごしたり。

色々やったな。。。

自分の子は、ここまでならできるはず。っていうのが親にはあると思いますが、自分にもあったなんて親になって、ホームスクーリングになってみて初めて気づきました。

どんな分野でも、思うはずです。

きっと、私は世の中の義務教育の波に乗って来たからいう事だ。とも思ってますが、分野が違くても思う。とも最近気づきました。

親になっても気付くことがあるって、やっぱり人間完璧じゃないですね。

日々、成長中なわけです。

そんな中途半端な人間が、教えるっておこがましいですよね。笑

だからこそ、話し合いながら進めて一緒に取り組むって大事なんだと思います。

 

さてさて、学業の最悪の事態を想定して、未来を考える。とはどんな事でしょうか。

学業はなんのために必要なのでしょうか。

大人になるために必要ではないですよね。年月が経てばいずれ大人になるので、そうじゃないです。

社会で生きていくための助けとなってくれるのが学業でしょうか。

大人になった時に、欲しいものや、やりたい事について、共通の言語的ツールなんでしょうか。。。

やりたい事をやる為の基礎を作っている。とかでしょうか。

 

大人になった現在でも、「基礎」ってつまんないですよね。

面白くないですよね。

勉強ってだからつまんない事もあるんだなって思いました。

 

誰かよりできる。順位がついて評価される。点数が良かった。

などは、比べる基準があって第三者が判断しているもので、そこから自分の気持ちにつながっているわけで、、、結局は他人あっての気持ちなんですよね。

でも、我が家ではそれを望んでないんです。

「他人に評価されるのではなく、自分で考えて見つける。」

私は、他人から評価される教育を受けてきたのもあって、子達と選択した現在進行形の今は未知なわけです。

どうやって基礎のつまんないと思っている勉強を進んでいけばいいか、まったくの未知です。。。

褒められる環境とか、褒めて伸ばすって、意外とやってます。

でも、褒められる側の気持ちってのモチベーションへ繋がんなかったりする。結構難しいことだと思います。

「褒めて伸ばそう」って巷ではよく聞くけど、みんなやってますよ。でもそんな簡単に成果が出ない。

 

褒めた時の成果は学業直結ですよね。

こちらがいくらスゲーーーって泣いて褒めていたとしても、相手がそうでなければ、それが成果につながるわけで、

すごいことなんだよ。とか、面白さとか、ためになるとか、親であっても伝えにくいです。

 

我家のゴジラン、勉強は好きじゃない。です。

何のために勉強が人生必要なのか、何度も話し合っています。

でもこの度、6年次修了とは行きません。あと何ヶ月かあるのでわからないでしょ。と言われればそうなんですが、

でも、厳しいです。

でも、それっていいきっかけじゃないかと、

だから「きっかけ」につなげてみるとか、今回話しています。

 

勉強の取り組み方次第で、人生の進み方も少しずつ変わる。

進み方は人それぞれ、ゆっくりでもいい訳ですし。

学業だけやっていれば、自分の望む将来へ近づけるわけではない。です。

ただ、社会の基準として、学業の基準があり、それを元に社会が動くところがある。

基準が難しかった時、助けを求めれば支援してもらえる世の中である。こと、

支援のためには、自分で支援を求めなくてはならず、その際は、意思疎通は必要。

さて、学業、勉強とはなんぞや、何のために必要なのか。

 

「なりたい自分になるための道具の一つ。」として思っていてほしいとも思いますが、

今すぐ成果を結びつけて役に立つわけじゃない。役に立って気付くことでもそうそうないのです。

それをどう伝えていくのか。。。親も勉強なのですね。

社会をうまく切り抜ける死なないためのツールともいうのでしょうか。

仲間を見つけるツールともいうのでしょうか。。。。

 

勉強って、学業って、変幻自在に役立てることができる最強のツールなんじゃないのでしょうか。

時と場合によって、変身できるツール。

そんな、いいところをもっと簡単に伝えていきた。とこと話してしみじみ思いました。

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